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佐々成政の生涯

佐々成政の生涯を年表にしました。
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1536年 天文5年 佐々成宗(盛政)の第五子として尾張の比良城に生まれる
1539年 天文8年 兄・政次が織田信秀に仕える
1549年 天文18年 信長が織田家の家督を継ぐ
兄・政次、孫助が信長に仕える
成政、信長の小姓となる
1554年 天文23年 父・成宗が死去
1556年 弘治2年 稲生の合戦で兄・孫助が討ち死
1558年 永禄1年 信長の命により佐々鉄砲隊が誕生
1560年 永禄3年 桶狭間の戦いで兄・政次が討ち死。成政が家督を継ぎ比良城主となる
信長の馬廻衆となる
1562年 永禄5年 美濃軽海の戦いにおいて斉藤龍興の家臣、稲葉又右衛門を討ち取る
1567年 永禄10年 織田信長の黒毋衣組(くろほろぐみ)の筆頭となる
1570年 元亀1年 浅倉征伐のため、信長と共に越前へ
手筒山・金ヶ崎城攻めの際、鉄砲隊として活躍
信長の義弟・近江の浅井長政謀反により越前攻略は失敗
1572年 元亀3年 近江浅井攻め
信長の命で虎御前山普請奉行となり、砦を築く
1573年 天正1年 浅井氏の救援のため北近江へ出陣した越前・浅倉勢を前田利家らと共に刀根山において破る
浅倉義景、浅井長政・久政父子自害
1574年 天正2年 長島一向一揆攻めに加わる
長島で成政の嫡子、松千代丸が討ち死
1575年 天正3年 長篠の戦いで鉄砲奉行として活躍
府中三人衆の一人として越前(福井県)に入国。小丸城築城を開始
1580年 天正8年 信長の義弟・神保長住を助勢するため越中(富山県)へ入国
佐々堤を築造
1581年 天正9年 信長に越中の全権を任される
1582年 天正10年 魚津城攻め
神保長住が富山城に幽閉され城を奪われる(富山城占拠事件
富山城を奪還
本能寺の変で信長自害
1583年 天正11年 羽柴秀吉に攻められ柴田勝家自害
成政、人質として娘を秀吉に預ける。越中一国を安堵され、越中守護に
1584年 天正12年 織田信雄と羽柴秀吉の不和から小牧長久手の戦が始まる
成政は信雄側につき、前田家の所領である能登の末森城を攻めるが失敗
信雄と秀吉が和議
徳川家康に再起を促すため、真冬の立山連峰を越えて浜松へ(さらさら越え)
1585年 天正13年 秀吉、越中へ出陣。成政は降伏し、大阪城へ出仕
1587年 天正15年 秀吉の九州征伐に従う
肥後国主に任命される
肥後の国人により一揆が起こる
1588年 天正16年 秀吉に一揆の責任を問われ、兵庫県尼崎にて切腹

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