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佐々成政の生涯(詳細)

佐々堤を築造

富山県内を流れる二大河川、常願寺川と神通川。

立山の雪解け水が日本海へと流れていく川であるが、当時この川の氾濫による水害が絶えなかった。
特に常願寺川が一度氾濫すると、その水量は約45,000トンにもなり、この数字は平常の水量の750倍にも達するという。

image立山から流れてきた川の水は、松木・岡田の崖にぶち当たることによって進路を斜め右へと変更し、岩峅寺(いわくらじ)の崖へとぶつかる。そして今度は斜め左へと進路を変え、馬瀬口(ませぐち)にぶつかり、その付近において大洪水を引き起こしていた。

そこで、佐々成政は馬瀬口に堤防(佐々提)を築造。
川の水は佐々堤にぶつかることにより、河川の中央へと押し戻され、水害は減少したという。

ちなみに、佐々堤は天正8年(1580)に築かれた越中初の川筋堤防の霞堤で、長さ150メートル、底幅は45メートルに及ぶ。
※霞堤とは川と平行ではなく斜めになっており、水を押し戻すための堤防である

常西用水を築造するときに佐々堤の天端をそのまま利用したそうで、今現在でもドンドコとして水流を押し殺すのに役立っているらしい。戦国時代に造られたものとは思えないほど作り方もしっかりしていて、位置的にも正確さを極めているという。
佐々提写真
成政のこうした民政は、越中の人々の心を打ち、一夜泊稲荷神社には成政(じょうしょう)様が祭られている。




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