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探訪記

富山旅行記です。

越中富山 市内を巡る(2010年10月):2日目

2日目は開館とほぼ同時に郷土博物館に入場。
まずは展示をじっくり鑑賞して、その後、展示説明会に参加して、重要な展示品についてひとつひとつ教えていただきました。

今回の特別展のテーマは、秀吉の越中攻めの目的が佐々成政を討つことだけではなかったというものです。
その裏には、かつて主筋であった織田信雄よりも秀吉のほうが上であるという主従関係の逆転を世に知らしめる目的があったのだと言います。
小牧・長久手の戦では、秀吉と信雄を中心とする反秀吉軍が争いました。
秀吉はその信雄を越中攻めの総大将に据え、それを未だ秀吉に与しない者たちに見せつけたのです。

また、これまで史実とされてきたことが、いくつか違うことが明らかにされました。

例えば、成政降伏の地は白鳥城だと考えられてきたのですが、実際には倶利伽羅峠だったようです。
また、成政が降伏した後、実は秀吉は富山城への入城を果たしていて、面会予定のあった上杉景勝を待っていたのだといいます。
結局景勝は来ず、秀吉は富山城の破却を命じ、大阪へ帰りました。
面会場所を破却するということは、すなわち景勝に大阪出頭を求めたのです。
つまり富山城の破却は、秀吉が成政に勝利したことを宣伝するためというよりも、上杉家に対する動きの中で行われたようです。

そして展示品の中で私がもっとも釘付けになったのは、佐々成政のものだという采配。
敗戦に悔しがり、噛んだと言われるくぼみ(噛み跡?)が残っています。
まあ、その真偽は置いておいて、佐々成政が触ったかもしれない。指紋が着いてるかもしれない。
想像すると、どきどきしました。
当然のことながらケースに入っているので触ることは叶いませんでしたが、暫しそれを握り締める彼に想いを馳せてみたり・・・。

その後、気を取り直して、神通川へと向かいます。

とぼとぼと護国神社を目指し歩いていると見えたのは、「礒部の一本榎」。
早百合伝説において、早百合姫が吊るされたとされる榎があった場所です。
今では早百合伝説は前田家の治世のために広められたとされていますが、その話にリアリティを与えたのが、かつてこの場所にあった一本榎の存在だったようです。(榎は戦争で消失)
そのすぐ傍には、早百合姫を奉った「早百合観音祠堂(写真右)」があります。

午後は、成政が戦勝祈願したといわれる「千歳神社」へ。
小雨の中、富山城から松川沿いに15分ほど歩きました。
千歳神社の由緒を読むと、成政は敬神の念が厚かったため、産土大神としてこの神社を崇めたのだそうです。
今はひっそりとした神社となっていましたが、一瞬神社に拝謁する成政の後姿が見えたような気がしました。

ちなみにランチはエクセルホテルの上にある懐石松やさんにお邪魔しました。
そこで、げんてい御膳(840円)を頂いたのですが、驚くほど豪勢でした!
ステーキ、お鍋、それにお造りか天ぷらを選べて、このお値段です。おまけに食後のコーヒーまで!
美味しかったですし、満足度高いですよ。店員さんも感じ良く、ぜひまた行きたいなと思います。

こうして1泊2日富山の旅を終えたわけですが、郷土博物館の特別展ではとても充実した展示を見ることができました。また、佐々成政に関連する史跡を回り、その場その場で彼がどんな気持ちでそこにいたのか、たくさん想像してみました。

またほんの少し、佐々成政という人が近くに感じられたような気がする旅となりました。

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